戸島の昔と今
2008年 12月 02日
戸島地域振興会主催のフィールドワーク、「戸島をもっと知ろう 戸島の昔と今」に参加しました。地域振興会事務所があるJAライスセンター広場での出発式の模様です。
60数名の参加者はバス2台で、安芸高田市吉田町にある「歴史民族資料館」で戸島関係の出土品や文化財を見学し、学芸員さんの解説を聞きました。
その後戸島に戻り、「又兵衛さんの碑」の前で、振興会長(元教育長)から、江戸時代に何度かあった大水害の話と、その後の飢饉を救った叉兵衞さんの遺徳を聞きました。碑の近くにある戸島唯一の「災害時避難センター」でもある戸島地域生活改善センターで昼食のお弁当をいただき、午後はバスで「赤川吾市翁顕徳碑」のある徳久に移動。
「共同共栄」と書かれた碑の前で、明治40年に設立された「戸島村信用販売購買生産組合」を組合員400名の郡内屈指の組織に育て上げた吾市さんの功績を聞きました。
その後、戸島地域にある3つの工場を見学しました。そのうちの1つは、風向きによっては我が家にまで異臭の漂ってくる工場で、敷地内の様子は環境対策がおざなりにされている事を感じさせるものでした。もう1つの工場も、平素から騒音や野ざらしの資材・廃材置き場など、付近住民に迷惑をかけている噂のある工場で、やはり現場は「雑然」としていました。
が、地域の住民をたくさん雇用している工場は前述の2か所とは違っていました。左の写真は社員食堂入り口に張ってあったものです。この工場の整理整頓はじつに見事で、野ざらしの資材・廃材もなく、非の打ち所がありません。こういう企業ならば「地域の人たちが誇りを持って働ける…」、と思いました。従業員さん達は無給にも関わらず、月1回のISOの勉強会には必ず出席されているようです。
と、そんな次第で…。
昔は旱魃や水害などの天災に苦しめられ、今は過疎と、経済発展の副産物である公害問題に悩む農村の現実を垣間見て、「これからこの戸島地域をなんとかしなければ…」と、改めて思った一日でありました。
by keikonosato
| 2008-12-02 02:52