広島の中山間地から、日々の暮らしと自然をお伝えします


by keikonosato

連続企画「表現の臨界点」を聴講

広島市立大学講堂で開かれた「抵抗としての文化の創造力を問う」映画上映会&シンポジウムを聴きに行きました。市大は初めてゆく場所です。
インターネットで調べたコース、向原〜(芸備線)〜広島駅〜(市電)〜バスセンター〜(楠台行きバス)〜市大前のメモを持ち、9時半の芸備線に乗りました。
文系思考回路を持たないkeikoの新しい挑戦です。
バートランド・ソーズィエー監督の映画「尋問の極意ーブレヒト対非米活動委員会」(アメリカ/1979年)は日本語字幕版初公開とのことでしたが、字幕切り替えのスピードについて行けず、パネラーの小田智敏先生のお話をきいて、おぼろげに理解する有様でした。
リンダ・ホーグランド監督の映画「ANPO」(アメリカ、日本/2010年)
昭和30年前半の学生運動が活発な時代、keikoが学部の副委員長になっただけで、徳島まで飛んで来た父に「副委員長を辞めるか大学を止めるか!」の二者択一を迫られ、大学に残る選択をしたこと、「日米安全保障条約」には日本が「条約を更新しない」ことを明言すれば「自動更新されない」ハズでだということなどを思い出しながら、近代アートの画面やアーティスト達の言葉を聞いていました。
シンポジウム:「広島の現在と抵抗としての文化」−政治、芸術、大衆文化と広島
基調講演:《抵抗の文化を想起する》東琢磨(音楽・文化批評)
レジメに基づいた解りやすい講演だったハズなのですが・・・。「平和と戦争は同義語であることすらある」「平和という言葉は臨界点をこえ、構造的暴力を強化するだけだ」「文化は土を耕すことを語源とする」などの言葉が頭に残りました。レジメは手元に置き何度も読み直すつもりです。
パネリストのお話:
・井上間従文(いのうえまゆも・比較文学)《新自由主義時代における歴史想起への欲求:映像/音という亡霊》
ネオリベ時代の困難と、ネオリベ時代への抵抗の抱える現代中心主義の項で話された「国家による市場の創設」「主体的=従属化への欲望の固定化」あたりまではなんとかついていけたのですが・・・。レジメをいただいているので、」これから、ゆっくりと読み直し理解したいと思います。
・小田智敏(哲学)
前述したように、映画「尋問の極意」についての分析をしてくださいました。
・上村崇(倫理学)
「沈滞した広島の文化や諸々の事象」に怒りにも近い情熱をおぼえておられるようでした。
keikoが住む戸島には「つきながれ」という言葉があります。これは「広島県人の特性でもあるようだなー」と思いながら列車に揺られました。家にたどり着いたら10時になっていました。
昨夜は、夢のなかで「keikoにも出来ること探し」をしていました。
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by keikonosato | 2011-02-06 08:18